もうすぐ父の命日です

2013年12月14日、癌を克服できず…数年の闘病ののち息を引き取りました

今日はちょっと父のことを書こうかなと思います



小さい頃は父のことが怖かった

しつけが厳しく口数が少なく好きなTV番組もあまりみせてもらえなかった

10歳でわたしが病気になり 自宅から車で1時間ほどかかる病院へ入院した

なかなか病名がわからず 適切な治療ができず 両親が交代で付き添いに来てくれた

父が付き添ってくれていたとき

毎晩熱が出て体じゅうが痛くなるわたしの腕を、

あの父が心配そうに「大丈夫か」と言いながらずっとさすっていてくれた

なんとなく遠い存在に感じていた父を とても近くに感じた


そこからさらに遠い病院に転院し(その病院には養護学校が併設されていたので)

4年と少しをそこで過ごした


病院での生活は、友達もいてそれなりに楽しかったけど やっぱり家が恋しかった

盆や正月には長期外泊許可をもらい1週間ほど家に帰ると

病院に戻るのが嫌で嫌でしょうがなかった

「退院」はわたしの悲願となった

そして中学卒業と同時に退院 夢にまでみた自宅での家族との生活

だけどもう家庭は崩壊しつつあった

両親が離婚寸前だったのだ

あんなに夢見た家族との生活だったけど、高校時代は家に帰るのが嫌だった

いちど父に泣きながら言ったことがある 「そんなに嫌なら離婚しちゃえばいいじゃん!!」

父は悲しそうな顔でわたしの名前を呟いた


わたしが大学に進学したと同時に両親は離婚した

もう18だったけど、やっぱり悲しかった

両親が離婚した後も わたしは何度か父とぶつかった

なんのことで揉めたのか忘れたけど父からの手紙がある

「またお前を悲しませてしまったな 悪いお父さんです ごめんな」という内容の短い手紙


後悔してることがひとつだけある

父が癌になり抗がん剤投与の治療をしていた頃

抗がん剤を投与するのに2週間とか3週間とか、入院してた

わたしは実家に帰っていて そのまま新潟市の自宅に戻ろうという日

父が私の車で病院まで送ってほしいと言った

だけど「やっぱり送らなくていい」となり 

わたしが実家を出る直前にまた「やっぱり送ってくれ」となった

わたしはイライラしてしまって、乱暴な運転で父を病院まで送った

このことだけは心の底から後悔している

どうしてもっと優しくしてあげられなかったのか…



いろいろあったけど両親は行き来だけはするようになり

病気になった父を最後まで支えたのは母だった


上の写真は2012年5月 父、母、夫、わたし 4人でお花見に行った

お弁当持って 桜は全部散ってた

父は闘病中だったのに 山に分け入っていなくなりわたしたちを慌てさせた


父、母、わたしの3人で温泉に行ったこともある

これが最後のお出かけ

父が男湯から出てこなくて 母と二人心配で心配で、男湯から出てくるおじさんに

「中で具合悪くなってる人いませんでした?」なんて聞いたりした

何のことはない 

父はお風呂から出た後、足つぼマッサージをしていたらしい…(あの、足で踏むやつ)

その日の父はとても嬉しそうで 大好きなお酒をけっこう飲んだ


父の最後のメール

2013年8月6日

暑くなりました。体調はどうですか

他でもないですがミシンいくらやっても分かりません

お母さんも忘れてしまって問題になりません

こんど来たら教えてください お盆待ってます。(Vサイン)

 

この1週間後のお盆には、東京から父の兄妹、わたしの従妹たち、母、弟 みんな集まって

ワイワイ過ごした 夜は花火もした


父はみんなが花火をしてるのを少し離れて眺めていた 嬉しそうに。

最後に、一緒に線香花火だけした 「お父さん、これが一番好きだな」って言ってた


それから4か月後、父は旅立った


最近、ものすごく父に会いたくなることがある

もっともっと話をすればよかったと思う

メールを送ってみた 当然、宛先不明で戻ってきた